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  • 執筆者の写真RED KING CRAB

第4回公演「カラッポ」終演のご挨拶


RED KING CRAB第4回公演カラッポ、11月6日をもって無事終演しました。 ご来場下さった皆様、お力添え下さった皆様、どうもありがとうございました。 技術不足を感じ、作品創り、運営面から至らない点をこれでもかと感じ、臨んだ制作期間でした。 この公演の制作経緯を話させていただきます。 今回の公演、事の発端は2015年度コンカリーニョで行われた遊戯祭15~手塚治虫に告ぐ~。テーマを手塚治虫さんと置き、そのテーマを元に作品を作る。といったものです。 この遊戯祭でありがたい事に賞を頂き、再び公演を行うことが決まりました。 1年以上前の話です。 その時点で決まっていたのは、 少年と老人の交流を描いた作品であること。そして、「数十年後あなたは何をしていますか」という1フレーズ。 能登屋が最後の舞台ということもあり、膨大なプレッシャーの元、創作は始まりました。 冬になって、富良野GROUP2016「屋根」の公演がはじまります。 はじめて役者で参加する現場。悔しい思いも、楽しい思いも舞台を作る上で必要な多くの事を学ばせて頂きました。 そして島が舞台であることが決まり、 公演終了後に単身、屋久島に向かいます。 縄文杉を観に行く為です。 その島で感じたことは、そこにいらっしゃる皆さんの温かさ。 お金のない貧乏旅行です。 着いた段階で宿探しが始まる訳ですが、島はアップダウンの急勾配の連続。歩いて廻るには時間がかかる。ということで自転車を借り、農家の方や、おみやげ屋の方、レンタルショップの方、食堂の方、紹介の連鎖で色々な方々とお話をしました。 そこで出逢った民宿の方。 今回の杉さんのモデルとなった方です。 昼間は林業や工場で重労働をして目一杯働きながらも、夜はスナックを経営するというパワフルなお方です。そして家、民宿、スナックをすべて自分で建てられたとのこと。 その方のご厚意で、ご飯をご馳走になり、夜に経営されているスナックに連れて行って頂きました。 お酒を飲みながら、島のこと、お仕事のこと、舞台をやっていることなど色々なお話をしました。そして常連の皆さんが来て、大宴会に。 皆さん、何処の馬の骨ともわからない僕のことをとても優しく、温かく迎え入れて下さいました。何より楽しかった。 その方との会話の中で、その方が仰っていたことで印象に残っていることがあります。 「見返りを望んじゃいけないよ」ということ。 「一生懸命働いていれば、きっと良いことがある」ということ。「相手が喜んでくれることをして、悪く思う人はいない」ということ。そして「ないならつくればいい」ということ。 そのお話を聞いた翌日、僕は島の中心部にある縄文杉を見に行きます。 我夢捨螺でも触れさせていただいたことですが、ただ事ではない道程でした。深い森を進んで進んで、たどり着いた縄文杉。推定樹齢7500年。何とも言葉に出来なかった記憶があります。 そこでは星が大きく、沢山あり、そして何より綺麗でした。 島やお逢いした皆さんの温かさに触れ、屋久島を後にした僕は、 帰り道に東京に寄ることになります。 繰り返し申し上げますが、貧乏旅行の為、泊まる場所もままならず、日中、夜と東京中を歩き回りました。 都会の華やかさ、慌ただしさを目の当たりにして、そのGAPに驚いた記憶があります。 こうして話の断片が少しずつ決まりはじめ、北海道に戻って来た僕は「忙」と「忘」という文字に着想を頂き、調査を進めて行きます。 この二つの文字。共通点と違いが何なのかを考えて行きました。 元北竜町町長の一関開治さんの著書に感銘を受け、北竜町を訪れ、 そこをきっかけに出逢うことになった施設関係者の皆さん、若年性認知症家族の会の皆さん。 話を聞いて衝撃を受けたのは、その病気の深刻さと周囲の方々との関わりです。 出来ないことに目を向けるのではなく、出来ることに目を向ける。 僕は、その考え方にとても共感出来る何かを感じました。 一方で、このある種「出来なくていい」という考え方は競争社会の中では、ある意味は敗北を意味します。 ただ施設関係者の方の話をさせていただくと、 本来、人と人とが支え合う上で繋がっていく上で、とても大切なこと思うと。その思いを大切にしつつ、綺麗事ではなく、この姿を描く事を何より悩んできました。 お話をお伺いし、相談をさせて頂きながら、多くのご意見を頂きました。 そして我夢捨螺の公演を終え、僕の財布の中身は底を着き、職を失い、信頼を失い、途方に暮れていました。 その中で手を差し伸べて下さった一慶さんをはじめ、BAR一慶の皆さん。美味しい賄いをご馳走になり、お酒の知識や情熱を持った一慶さんや中山店長のお話は面白く、お酒を作る手捌きはカッコ良くて。 お金がなくて富良野から札幌まで歩いて帰ることになった時も、お金もないし、腹ペコで、足はグニャグニャになりましたが、星が綺麗で、明るい。多くの発見がありました。 一慶さんはそんな僕を見て、芦別までお仕事が終わってお疲れの中、迎えに来て下さいました。銭湯に連れて行って下さいました。 何か落ち込んだ時、多くの方々に支えられながら創らせて頂きました。 今ご紹介出来ない位多くの方々のお力が原動力となりました。 「一人じゃないよ」と言って下さった方がいました。 そういった色々な方々との出会いの中で僕が感じた断片を繋ぎ合わせて作っていった作品です。 そして稽古が始まってからも順調に行きません。 その中でお力添え下さったスタッフの皆さん。 そして新たにRED KING CRABに加わり、支えてくれた石橋。 最後まで頑張ってくれた能登屋。悩みながら一緒に創ってくれた役者の皆。 自分で作ったなんておこがましくて言えません。 僕はこの作品を、作らせて頂いたもの、皆で作らせて頂いたものと思っています。 お会いした皆さんに大切なものを頂いたと思っています。 そしてご恩返しをせねばと強く思っています。 それも、すべては観に来て下さる皆さんの為に。 ご覧になっていかがでしたでしょうか。拙い部分があったかもしれません。それは今後もっともっと前進してお返しして行きます。 作品を見て、臭い言い方かもしれませんが、 何か一つでも観て下さった方の心に残るものを創ろうと考えてきた創作期間でした。 何かを感じて頂ければとても嬉しく思います。 次回は2017年冬。必ず成長して戻ってきます。 公演に携わって下さった皆さんを代表して。 本当に本当にどうもありがとうございました。 p.s 最後に事の発端になったイラストも掲載させて頂きます。 下手糞な絵ですが、作品を創る上で道しるべとなっていました。


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